2015年1月31日土曜日

ネタ話とレシピ

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車に撥ねられていた猫を動物病院に連れて行った

うちにいるデブ猫を飼いだしたのは、夜中に血まみれで道路の真ん中でジタバタしていたのを
仕事帰りに通り掛かった俺が近所の動物病院に連れこんだのがキッカケだった

夜中の流れの速い道路の真ん中にいたら、轢かれて死ぬのは目に見えていたので
とりあえず道路の端にでも移動させようと車を停めた

実際に近くで見ると結構出血していて重症っぽかった
置いておくわけにもいかず、抱き上げて車に乗せようとすると、
これぞ肉食獣!という感じで歯を剥き出しにして俺を威嚇しまくり抵抗した

トランクにあった毛布をバサっとかぶせて包み、助手席の足元に置くとぐったりしてあまり動かなくなった
素人目にもこれはヤバいと思い、うちの近所にオープンしたての動物病院があったのを思い出し
警察に捕まったら確実に免許が無くなりそうな走り方をしてその病院に急いだ

自宅兼動物病院に着き、呼び鈴を連打すると若い女の人(奥さん)がインターホンに出て
少ししてパジャマ姿の若い院長先生が目をこすりながら出てきた

ぐったりと抵抗もしなくなった猫を車から降ろし検査をしたところ、後ろの両足が折れ尻尾が潰れていた
左足は骨が突き出し、そこからかなり出血していた
車に撥ねられたようだった

一日おき位に様子を見にいくうちに情が移り退院後は俺が引き取る事になった
2ヶ月経った退院の日、動物病院は恐ろしく高いと周りに脅されていたので
「何十万請求されるんだろ?まさか100万以上なんて事無いよな?」などとビビりながら迎えに行った

退院後の注意事項を聞いて薬を貰い、会計の時、言いにくそうに言った若い院長先生の一言は鮮明に覚えている
「う〜ん・・・じゃあ・・・2ヶ月なので・・・2万円貰えますか?」
しばらくは何が2ヶ月で何が2万円なのか理解できなかった
全部で2万円と理解した後、驚いた俺は正規料金を払わせてくれと粘ったが、結局2万円しか受け取ってくれなかった


現在もデブ猫はその先生が大嫌いなようだ
予防注射などで病院に行くたびに「ハァッ!」と先生を威嚇して「そんなに嫌わないでくれよ〜」と先生と助手の奥さんを苦笑いさせている
初めて連れて行った頃は、すぐ潰れんじゃないかと心配になるほど患者が少なかったけど、今はいつ行ってもメチャメチャ混んでいる



「我、死す。されど、屈せず。さらば、祖国よ」 イジニエフがソビエト連邦に遺した遺書

「我、死す。 されど、屈せず。 さらば、祖国よ—」
1941年6月22日、独ソ開戦から1ヶ月にして、ワルシャワとモスクワの中間都市ミンスクは、ヒトラーの電撃作戦に敗れ、陥落。
イジニエフ・アリスコビッチは、この遺書をしたため、戦闘に参加した。
そして、皮肉なことに、遺書をしたためた彼だけが生き残った。

1945年のドイツ降伏まで、彼は捕虜として過酷な収容所生活を送り、
やっと祖国に帰国した彼を待っていたのは「ソビエトも負けたところがある」ことを認めたくなかったスターリンによる、
「イジニエフは対ドイツ協力者、裏切り者である」としてシベリア送りにする陰謀だった。

やがて、時は流れ、スターリンは失脚。
後に立ったフルチショフによるスターリン批判により、「ナチス・ドイツに対して勇敢に戦った者達」として、
ミンスクとブレスト要塞が「英雄都市」として、祭り上げられると同時に
イジニエフは「ソビエト最大の裏切り者」から、一日にして「ソビエト最大の英雄」に成る。

ソビエトという国家は手の平を返したようにイジニエフを賞賛し、数多くの勲章を送る。
だがイジニエフは、英雄に成ったからといって奢るでもなく、
シベリア送りに成っていたからといって、いじけるでもなく、
 「私は単なる共産主義者。単なる労働者に過ぎない」
と、言って、数多くの「英雄」としての名誉職をすべて断り、
一人の労働者として、鉄道整備をしながら人生を過ごした。

そして、晩年を迎えようとする彼の人生に一つの事件が起きる。
チェルノブイリ原子力発電所の事故である。

「私がいなかったら、誰が列車を動かすんだ?」

彼はただ、それだけを言うと、次々と逃げ出した同僚を尻目に
避難者で満員の列車を一人で動かしつづけた。
汚染地域の上を何往復も…

やがて、すべてが終わった時、イジニエフは血を吐いた。
放射能症である。

医者すらも、「イジニエフを治療すると自分が危ない」として、治療を断わる始末。
チェルノブイリ原子力発電所の事故は、崩壊しつつあったソビエトという国家そのものを象徴していたとも言える。

「一人の労働者」として働き続け、ようやく稼いだイジニエフの持つ「ルーブル」は、
インフレにより一夜にして紙クズと変り、貰った数多くの勲章は、何の価値も無いガラクタなっていた。

そして、イジニエフは死にかけていた。

病床のイジニエフが、同じく死にかけていたソビエトに対して、遺した言葉がある。

 「我、死す。されど、屈せず。 さらば、祖国よ—」

1991年12月21日。イジニエフ、放射能症により死去。
それは奇しくも、彼が別れを告げた祖国・ソビエト連邦が消滅したのと同じ日であった。

ネットで話題の*簡単!
アボカド&明太子のタルタル*


■材料:3〜4人分
・アボカド / 1個
・明太子 / 1腹
・マヨネーズ / 大さじ1
・粗挽き黒コショウ / 少々

■レシピを考えた人のコメント
「フランスパンやライ麦パンと一緒にどうぞ☆」

■作り方
1.アボカドは皮をむき、種を取り抜いて、適当な大きさに切る。
明太子は薄皮をとり、アボカドと合わせ、フォークでつぶす。

2.マヨネーズを加え、最後に黒コショウを振って完成♪

■おいしくなるこつ
「保存する場合は、レモン汁をかけて変色を防いでください。」
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