2013年11月18日月曜日

人が死なない泣ける話

「大人になったら私と結婚しよう」と言って退院してった

俺と嫁の馴れ初めは病院

俺も嫁も同じ小児がんで同い年ということもあり出会ってすぐに意気投合した。
病気は子供ながらに死ぬ可能性があると分かってたが、それでも完治すると
願って頑張っていたら嫁が無事完治し退院する事になった。

その時嫁は俺に「絶対に諦めないで。俺君も絶対に良くなるから。
それで大人になったら私と結婚しよう」と言って退院してった。

それから暫くして俺も退院したが再発し嫁も再発し、何度も駄目だと思ったが
数年前嫁とあの時した約束を叶える事ができ諦めていた子供もでき家族仲良くやってる。


いつまでも2人力合わせて長生きしてね
「地震は建物を揺らすことができても、日本人の精神を揺るがすことはできない」
文化協会名誉会長の劇作家ファティマ・スラヤ・バジヤさん

今日珍しく俺は母ちゃんを外食に誘った。
行き先は昔からよく行く馴染みのラーメン屋だった。
俺は味噌大盛り、母ちゃんは味噌並み盛りを頼んだ。
「昔からここ美味しいのよね」って、柄にもなく顔にシワよせて笑ってたんだ。

ラーメンが出来上がると、俺も母ちゃんも夢中で麺をすすってた。
あんまりにも母ちゃんがニコニコしながら食べてるもんだから、
俺もつられて笑っちまったよ。

しばらく経って、ラーメンを食い終わった俺はふと母ちゃんの方を見たんだ。
ラーメンの器に浮かぶチャーシューが一枚、二枚、三枚・・。そのチャーシューを捲ると麺がまだ沢山余ってた。
母ちゃんは俺の方を申し訳なさそうに見て、「ごめんね、母ちゃんもう年だから。ごめんね」と繰り返してた。
「んなもんしゃーねーべ」と言うと、俺は母ちゃんの残したラーメンをすすった。
そういやガキの頃、よく無理して大盛り頼んで、結局食べきれなくて母ちゃんに食ってもらってたっけ。
いつの間にか立場も逆転。あんなに若かった母ちゃんの顔も今じゃシワだらけで、背丈も頭一個分違う。
そのシワの数程今まで散々迷惑掛けたんだろうなって思うと、悔しさと不甲斐なさで涙が出てくる。
母ちゃん、こんな俺を今まで育ててくれてありがとう。


俺、立派な社会人になるわ。

部屋に小包が届いた。
何年か前、一人暮らしをしてた時、部屋に小包が届いた。一緒に入っていた手紙に

『○○様 お元気ですか、○○が家を出て半年がたちました。家の中は火が消えたようです
じちゃんも、○○の事をしんぱいしています
早くりつぱな看ご婦さんになって帰って来て下さい。

ばちゃんも元気だから、しんぱいいりません。

○○が元気でりつぱになるやうにばちゃんは毎日仏だんにおがんでいます。

気をつけて、また今度かえって来て元気な顔を見せて下さい。


ばちゃん より』


手紙には、折り目が付いた1万円が同封されていた、農家の嫁の少ない年金で、生活も楽じゃ無いのに…


読みながら、届いた漬物をかじったら…

急に帰りたくなって、婆ちゃんに甘えたくなって、わんわん泣いた。

死ぬ気で勉強して働いて、看護婦になって地元に帰った。

今もその手紙と一万円は大切に残している。
☆☆☆☆☆ ドラクエと私、そして伝説へ・・・,

私がドラクエ1と出会ったのは、10歳になったばかりの小学生の頃でした。
自分が勇者となって、国王の命を受け剣を取って立ち上がり、悪の魔王と戦う。
そんな胸躍る物語に少年の心はおおいにときめき、時間を忘れて熱中したものでした。
2の発売を知ったときは、絶対買うと心に決めて、すぐに小遣いを貯金し始めました。
社会現象にもなった3の発売時の行列、あの中に少年の日の私もいました。
ハードがSFCになってからも、PSになっても、私の心は常にドラクエと共にありました。
冒険の書を開く時、私の心は本当の意味でドラクエの中に存在し、
そこで戦い、傷つき、立ち上がり、そして少年は成長していったのです。
今の私はドラクエが育ててくれた、私は自信を持ってそう言えるし、それを誇りに思っています。
しかしハードをPS2に移した8になって、私は始めてドラクエをクリアしませんでした。
仕事が忙しい、ゲームをやっている暇がない、そういう理由もあったとは思いますが、
私は「ドラクエを卒業する時が来たのではないか」と、初めて思ったのです。
私の成長を20年間見守ってくれたドラクエが、「もう一人でも戦っていけるよ」と認めてくれた瞬間でした。
ドラクエ9が発売されるNintendoDSを、私は持っていません。買うつもりもありません。
私がドラクエ9をプレイすることはないでしょうし、10以降についてもそうでしょう。
しかし私にはわかるんです。どんなに時が流れても、ドラクエはドラクエなんです。
私の愛した、そして私を育んでくれたドラクエに感謝の意味を込めて、☆5つを贈ります。


うちの娘も一人っ子。
いろんな人から「一人っ子は可愛そうよ,もっと生めば?」とはいわれる。
でも娘が3歳のとき、よかれと思って受けさせたおたふく風邪の予防接種の
副作用で髄膜炎にさせてしまった時、41度の高熱に苦しむ娘をみながら,神に祈った。
「私の生涯、子供はこの子一人で良いからどうかこの子を助けてください」と。

ちょっと育児失敗したかなあ。他の子供はもうこういうことができるのに。とか
思い通りに育たない娘をみて、次の子が生まれたらこうやって育てようなど考えてた
直後の発病だった。
罰があたって、この子を失うかもしれないという不安でいっぱいで
「とにかく命だけは助けて」と祈る毎日だった。
無事熱も下がり、恐れていた後遺症もなく元気で退院してからはしばらく
夜抱いて寝ていたものだ。思った通りに育たなくても、他の子ができることが
できなくても大切な可愛い我が子。
あの時祈った言葉に嘘はない。今目の前にいる娘がすくすく育ってくれるのが
一番幸せ。
神様との約束がずっと守られているから一人っ子のままなのだと思っている。
この話をするとたいていの人は黙る。
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