2014年1月29日水曜日

不思議な話前編

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喫煙室にいる人間が、こっそり消されていた頃の話

分煙にも程があるというか、遂には喫煙者は、
別の世界に飛ばされるくらいの
酷い扱いを受けるようになった頃の話。

喫煙室でもくもく煙草を吸う鼻つまみ者の彼らは、
ときどき、こっそり、集団失踪させられていた。

もちろん今はそういうことは行われていない。
安心して欲しい。今からするのは、少し昔の話だ。


たとえば当時二十六歳だった
チェーンスモーカーの彼は、
その夜、駅のホームの喫煙室で、
ショートホープを吸っていた。

無暗に大声で笑う大学生三人を、
舌打ちで追い払ったところだった。

半分は八つ当たりだったのだが、
この行為は結果として、彼らを助けることになる。


電車のブレーキ音が聞こえて、
男が煙草を消そうとしたとき、
ふいに全ての音が消えた。

男が顔を上げると、喫煙室の外は真っ暗だった。
それどころか、季節外れの雪が降っていた。
そこはもう駅ではなく、どこかの丘だった。

煙草を吸い終えた男は、「さて」と言い、
ドアを開けて外に出て、室内よりも濃い煙に包まれた。

降っているのが雪ではなく灰だと気付くのは、
しばらく後のことだ。


こんなことなら、あの大学生たちを放置して、
巻き添えにすればよかった、と男は思った。

降っている灰が多すぎて、
頼りとなる街の灯りはうっすらとしか見えなかったが、
とにかく男はその方向へ歩いて行った。


そこは煙の街、星の見えない世界の灰皿。
街の人間の気取った言い方を借りれば、そうなる。

正確に言うと、降っているのは灰ですらないのだが、
他にどう呼べばいいか分からないので、皆そう呼んでいる。


遮光力の高い灰のせいで、街は常に薄暗い。
そのため、一日中ガス灯が道を照らしている。

灰煙を吸わないよう、人々は外出時にはマスクをする。
また灰をかぶらないように帽子をかぶっており、
少し短めに切られた彼らの髪は、
毛先に行くほど灰色が染みついている。


この灰色は染みつくのだ。

だから、空だけでなく、木も、花も、
鳥も、灰色に染まっている。
それらを見続けているうちに、
目まで灰色になってくる。

世界中の喫煙者が集うここでは、
共通語が必要とされ、住人の手で、
あまり便利とは言えない言葉がつくられた。

灰を吸っていれば大抵の欲求は満たされる。
時が止まったように、空腹も無くなるのだ。

しかし逆に、灰を吸い込むことで寿命は早まる。
街に来た人間がまず教えられるのはそのことだ。

街で10年以上生きた人はおらず、
だから大抵の人は、滅多に外に出ず、
家にこもって、適量の灰を吸いながら、
家族と楽器を弾いたりチェスをしたりして、
自分が死ぬのを待っている。



街に来てから三年が経っても、
男は家族を作ろうとしなかった。
天気の比較的良い日は外に出て、無闇に歩き回った。

そんな彼を、街の人間は変人扱いした。
なぜあの男は、わざわざ死にに行くような真似をするんだ?
なぜ家族をつくらないんだ?

男は誰よりも灰化が進行していて、
肌は青白く、赤味がほとんどなかった。
男はそれを自慢に思っていた。


前の世界に戻りたい、とは思わなかった。
やっていることはほとんど変わらない。
ただ、楽で単純になっただけだ。

来る日も来る日も男は積極的に寿命を削った。
ある日男は、少女につまづいて転んだ。

少女の灰化は、かなり酷いものだった。
背中まである長い髪が、綺麗な灰色に染まっていた。

短期間に多くの灰を吸い過ぎたのだろう、
呼吸困難になり、喉をおさえて倒れていた。
目を閉じて冷や汗をかき、苦しそうにしている。

男が真っ先に感じたのは、同情や心配ではなく、
自分より灰化が進行しているこの少女が気に入らない、
という、嫉妬に近い感情だった。


男は少女の顔にかかった髪を払うと、
唇を重ねて、ゆっくり灰を吸い出した。
灰は、吸った分だけ男の肺に残留する。

二人の灰色が同じくらいになると、
男は唇を離し、大きく咳き込んだ。

少女は目を開き、何回か瞬きをした後、
起き上がって姿勢を直し、頭を振って灰を払い、
激しく咳き込む男に駆け寄り、背中をさすった。

男は少女を受けて入れてくれる家を探した。
川の傍の家族のもとに少女は預けられたが、
翌日、男が外をうろついていると、
橋の下で寝ている少女の姿を見つけた。

男は少女を叱りつけたが、言葉が通じず、
少女はへらへら笑って男を見ていた。
灰の恐ろしさについて理解できていないらしい。

預け先の家に連れて行き、事情をたずねると、
少女が勝手に出て行ったらしかった。

翌日も同様の出来事があり、
さらに数日後、男は再び少女に躓いて転んだ。

灰を吸い出して咳き込む男の背中をさすりつつ、
少女はちょっと嬉しそうな顔をしていた。

結局、少女は男と一緒に暮らすことになる。
十二歳くらいのヨーロッパ生まれの少女と、
三十路手前のアジア生まれの男。

後に、少女は覚え立ての言葉で、
「あなたが毎日外を歩いてたのって、私を心配してくれてたんでしょう?」ときく。

男は否定しなかった。

また、男が自身の寿命を削って
少女の灰を吸い出していたと知ったとき、
少女はしばらく、びっくりするほど大人しくなった。

こうやって、ついに彼にも家族が出来た。
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