お弁当は捨てていた
私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えないほど質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま学校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確かに海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし、彩りも悪いし、とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。
それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。
母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」 日記はあの日で終わっていた。
後悔で涙がこぼれた。
お母さん かあちゃん カーチャン
俺の誕生日の日のこと
俺が23歳の頃、就職1年目の冬、俺の誕生日の日のこと。
職場の人たちが「誕生パーティーをしてあげる!」というので、家に「今日は遅くなるよ。ゴハンいらないから。」と電話を入れたら、父が「今日はみなさんに断って、早く帰ってきなさい。」と言う。
「だってもう会場とってもらったみたいだし、悪いから行く。」と俺が言うと、いつもは 温厚な父が「とにかく今日は帰ってきなさい、誕生日の用意もしてあるから」とねばる。
「???」と思いながら、職場のみんなに詫びを入れて帰宅した。
家にはその春から肋膜炎で療養中の母と父がいた。
食卓にはスーパーで売ってるような鶏肉のもも肉のローストしたみたいなやつとショートケーキがあった。
わざわざ職場の誘いを断わって帰ってきたのに、その質素な感じに頭にきて「なんでわざわざ帰らせたの!俺だってみんなの手前申し訳なかったよ!」と言ってしまった。
父は何か言ったと思うが、覚えていない。母が「ごめんね。明日でもよかったね。」と涙ぐんだ。
俺は言い過ぎたな、と思った。
でもあやまれず、もくもくと冷えた鶏肉とケーキを食べて部屋に戻った。
その2ヶ月後、母の容態が急変し入院した。仕事帰りに病院に行くと、父がいた。
廊下の隅で「実は お母さんは春からガンの末期だとわかっていたんだよ。隠していてごめん」と告げられた。
呆然として家に帰ったあと、母の部屋の引き出しの日記を読んだ。
あの誕生日の日のページに
「○男に迷惑をかけてしまった。」
とあった。
声を出して泣いた。何時間も「ごめん」といいながら泣いた。夜が明ける頃には涙が出なくなった。すごい耳鳴りがした。
4、5日して母は死んだ。
仕事をやめて、看病していた父も数年前に死んだ。
父が準備したささやかな誕生日パーティーをどうして感謝できなかったのか、母にとっては最後だったのに
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